大渡りと由利橋三態

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ページ番号1009763  更新日 2024年4月30日

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 本荘城下と対岸の亀田領石脇とは、藩政時代には橋が架けられておらず、舟で子吉川を行き来していました。この渡船場は「大渡り(おおわたり)」と呼ばれ、文政12年(1829)には舟渡し賃大人1人分が15文でした。石脇からの舟が到着する場所は絵図のように木戸があり、「大渡口」と呼ばれ、「御番所」と「札」(高札場)が併置されていました。
 明治10年(1877)8月15日、この大渡口に船橋「蟠龍橋」が開通しました。橋の形状が龍の蟠り(龍の背中がうねる様子)によく似たことから名付けられたものです。この船橋は、幅3間・長さ63間、その構造は小舟15艘に梁を揚げ、桁を渡し厚板を敷いて人馬を通したものです。工事費1,630円、往来者より1人5厘・車馬各1銭を徴収して架橋費の償還に充てています。
 蟠龍橋は13年間で4回も流失し、明治23年(1890)5月、酒田街道改修に伴い木橋として起工され、同年9月14日に竣工し、「由利橋(ゆりはし)」と改称されました。橋の規模は幅3間・長さ90間、工事費3,845円38銭6厘でした。その後、木橋「由利橋」は、明治24年大火で南端20間が焼け落ち、次いで同27年の大洪水、また、昭和4年(1929)も洪水流氷のため、流失・一部倒壊しています。この橋は昭和初期まで俗に「大渡りの橋(おおわたりのはし)」とも呼ばれていました。
 昭和初期、鍜冶町から由利橋を通過する国道10号(昭和27年より7号)は、屈曲が多く、桶屋町(おけやまち)から新道の直通路線に改め、橋は鉄橋に架け替えられ、昭和6年6月2日落成しました。橋長175.54m、有効幅員6.5m、工事費約21万4千円でした。鉄橋「由利橋(ゆりはし)」開橋の日は旗行列・花火大会・ボートレース等で昼夜を問わず賑わいました。開橋当時、東京の永代橋等と酷似し、全県一モダンな由利橋は、以来82年間の間、子吉川と相俟って、近代の特色ある建築物としても景観を印象づけました。
 現在の由利橋は平成22年(2010)8月に着工し、橋長190.5m・幅員19.0m・総事業費44億円で、同25年1月29日に渡り初めが行われました。県内初の斜張橋の主塔(橋面から50m)は、愛称として「由利タワー」と呼ばれ、ライトアップされる夜には幻想的な景観を醸し出しています。

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