城下の米蔵「岩渕蔵」

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ページ番号1009757  更新日 2024年3月25日

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 現在の市役所第二庁舎や市消防署のある一画は、江戸時代、本荘城下の蔵屋敷である「岩渕蔵」があった場所です。岩渕蔵は、江戸時代初期の本城氏による城下町建設と同時に設置され、その後本荘藩六郷氏に引き継がれ、明治4年(1871)の廃藩まで存続した重要施設でした。

 現在地付近には長屋門があったほか、貞享4年(1687)の絵図には、子吉川と大沢川合流点近くの川船が入りやすい低地に面して、敷地内に細長い蔵が建ち並ぶ様子が描かれています。平成19年と25年に実施した発掘調査でも、絵図と同様に建ち並ぶ建物跡や、荷を運搬する目的で使用したと推測される大きな水路跡が確認されています。江戸時代に「蔵小路」と呼ばれていた現在の美倉町は、この岩渕蔵に由来します。岩渕蔵は、領内の米を管理するとともに、藩士への禄米の支給所としての機能も持っていました。また、本荘藩はこの岩渕蔵のほかに本荘湊(古雪湊)に近い観音町にも藩の米蔵を設けていました。

 現在地は、本荘城の北側の武家町の北端に位置しており、下級武士や足軽が住むエリアとなっていました。そして、東にのびる蔵小路の通りは、東側の赤沼町を経て、子吉川対岸や矢島方面に通じる城下の主要な道路になっていました。

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