古雪湊と古雪御蔵

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ページ番号1009761  更新日 2024年5月10日

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 現在の本荘港の南西にあたる一角は、江戸時代に本城城下の御用蔵「古雪御蔵(ふるゆきおくら)」跡地にあたります。 この地にあった港は、「古雪湊」と称され、日本海を航行する海船が停泊し、子吉川・芋川などを下る川舟が行き来する川港でもありました。古雪御蔵は、本荘藩六郷氏の役人が詰め、領内の米を集積・管理する重要な役割を担っており、明治4年(1871)の廃藩まで存続しました。表門・裏門を構えた「船場」が付設され、船舶の出入りも管理したと推定されます。
 古雪御蔵一帯は、文禄年間(1592年~1596年)の資料にも見られる湊として、交通の要衝でもありました。昔は「ふるゆき」ではなく、「ふるき」と呼ばれていました。
 古雪湊の対岸の亀田藩領には石脇湊があったことから、入港する北前船を巡って、双方の廻船問屋間の争論に発展することもありました。北前船は、古雪湊に半紙・蝋・砂糖・塩・木綿・和鉄などをもたらし、一方で由利郡の米・菜種・大豆などを全国に運んで行きました。この北前船による交易は、商品以外にも、信濃国(現在の長野県)追分宿発祥の追分節を伝えて民謡「本荘追分」を生み、「おおきに」「なんぼ」といった上方言葉などの文化も伝えています。また、越前国特産の笏谷石もこの地にもたらされ、古雪町の旧家の玄関先に今でも見ることができます。
 古雪町から中町までの通りには北前船の商品を扱う本荘藩公認の10軒ほどの廻船問屋が店舗を構え、「廻船問屋十人仲間」と呼ばれていました。また、このあたりは、北前船の乗組員が出入りした料亭や旅館などが軒を並べて大変賑わっていました。

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