城下の東の要衝「大沢川」と「二枚橋」

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ページ番号1009759  更新日 2024年3月25日

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 本荘城跡の東側を南北に流れる大沢川は、城の外堀の機能を持ち、当時の町割りはこの大沢川を境に西側を武家町、東側を足軽町、寺町として分けられていました。

 城下東西の往来は、現在地から大沢川に架かる「二枚橋」を渡って谷地町に入り、南へ進んだ後に東へ折れ、大野道(大の道)を通って本荘街道と矢島街道へ向かうルートと、城下北側の筬(おさ)橋(ばし)を渡って八幡町(現谷地町)に入る、二つの大きなルートがありました。

 中でも二枚橋を渡るこの通りは城に近く、城下中心部の東の出入口として重要な場所となっていました。正保元年(1644)に幕府が諸藩に命じて作成させた下の城絵図の現在地付近を見ると、城の北西に設置された大門と同様、二枚橋の西側にも門が設置されているほか、土塁も巡っており、防御面においても非常に重視された場所であったことがわかります。

 また、18世紀初め頃の本荘城下絵図には、現在地のカダーレ西駐車場付近は「御用うるし林」が広がっており、さらに現在地の通りをはさんだ南側には「大工屋」が描かれています。このことから、当時の二枚橋周辺には、城の営繕に関係する施設が置かれていたこともわかります。

注:文化交流館カダーレ敷地内では、大沢川は地下水路になっています。

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