佐々木利三郎家住宅(ささきりさぶろうけじゅうたく)

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ページ番号1003561  更新日 2022年12月14日

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名称
  • 佐々木利三郎家住宅主屋
  • 佐々木利三郎家住宅米蔵
  • 佐々木利三郎家住宅人形蔵
所在地
秋田県由利本荘市岩城亀田大町字肴町
構造・形式
  • 主屋:木造平屋建 切妻造(一部増築入母屋造)鉄板葺 建築面積:235平方メートル
  • 米蔵:土蔵造2階建 切妻造 桟瓦葺 建築面積:86平方メートル
  • 人形蔵:土蔵造2階建 切妻造 桟瓦葺 建築面積:62平方メートル
建築年代
  • 主屋 :明治時代中期
  • 米蔵 :大正時代
  • 人形蔵:大正時代

佐々木利三郎家住宅の概要

写真:佐々木利三郎家外観

佐々木利三郎家は、亀田藩の城下町、亀田地区大町字肴町に所在し、明治から大正時代にかけて呉服商や米穀業を営んだ商家です。主屋である店舗兼住宅は、明治時代、当主佐々木利三郎(天保10年~明治27年)が数年を要して建築したとされ、商号は「佐々利(ささり)」、商標は「仝(やまえ)」を用いていました。この佐々木利三郎という人物は、明治27年の「旧藩亀田市街全図」に名が記載され、明治時代の秋田県長者番付100人にも名を連ねる亀田地区の名士です。
佐々木利三郎は、明治41年8月、旧亀田藩岩城家当主岩城隆長(子爵)の墓参の折に菓子重を下賜されたほか、利三郎の孫の広吉(明治22年~昭和52年。亀田京極家より養子)は大正12年に亀田信用組合を設立し、昭和23年から30年まで最後の亀田町長を務めました。広吉が当主であった大正10年には、亀田を訪問した東本願寺御門跡が佐々木利三郎家に宿泊するなど、亀田地区を代表する商家であったことが分かります。

建造物配置状況

写真:佐々木利三郎家外観2.

佐々木利三郎家住宅は、亀田市街地に位置し、市街地の中央を通る県道69号(旧国道341号)に面した場所にあります。藩政期、この道は、東は亀田陣屋及び亀田藩岩谷方面へ、西は亀田藩松ヶ崎及び日本海岸を経て本荘藩へ通じる重要な街道でした。現在も亀田地区の主幹道路となっており、その周辺には藩政期城下町中央部に整備された大町、肴町、大工町等の町人町が位置します。
肴町に所在する佐々木利三郎家は、県道に面する起り破風(むくりはふ)の玄関部と冠木門を設けた高さ2メートル、長さ約34メートルの黒板塀と、東西側の長さ各約40メートルの鉄板塀に囲まれた一画です。店舗を兼ねた主屋を県道に面した敷地正面に、蔵を主屋背後に配する特徴的な亀田の商家配置を維持しています。土蔵は、「米蔵」や「文庫蔵(後に人形蔵)」、「塩蔵」「材木蔵」等5棟ありましたが、平成7年までに米蔵北側にあった塩蔵ほか3棟が解体されました。現在は敷地北端中央に「米蔵」、主屋と米蔵の間の敷地西側に「文庫蔵(後に人形蔵)」の2棟が残されています。

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このページに関するお問い合わせ

教育委員会生涯学習課
由利本荘市西目町沼田字弁天前40番地61 西目総合支所内
電話:0184-32-1332 ファクス:0184-33-2202
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