齋彌酒造店(さいやしゅぞうてん)

ページ番号1003557  更新日 2022年12月14日

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名称
齋彌酒造店(さいやしゅぞうてん)住宅・店舗 他10棟
所在地
秋田県由利本荘市石脇字石脇53
建築年代
明治35年及び昭和初期

概要

本荘地域石脇地区は、藩政時代子吉川を通じて日本海水運の港町として栄え、岩城氏亀田藩の重要な商業地であり、明治22年には、子吉川対岸の本荘町と合併し、商業に加え、行政上も対岸と一体になりました。明治30年代から40年代にかけては、近代工業が本市域でも本格的に展開される中、石脇に立地する工場の割合は高く、石脇には2軒の酒造業がありました。これは「新山」の麓の石脇東部が豊かな湧水に恵まれていたことに由来し、大正13年の「本荘町業名録」によると、市内醸造業の半分にあたる5軒が一本の道沿いに隣立し、酒類をはじめ、味噌醤油等の醸造街が形成されていたことが分かります。加えて、石脇地区は、戦後町並みが大きく変化する中、周辺部が宅地化されながらも、今なお旧態を忍ばせる商家の家並が残る地区です。
上記5軒の醸造元のうちのひとつである齋彌酒造店は、明治35年10月に創業しました。創業者の齋藤彌太郎は事業を興したのみならず、本荘町長を務めた人物であり、私財で旧本荘城跡を買い取り、町に寄付した篤志家としても知られ、社名の「齋彌」は創業者の名前に由来します。

写真:齋彌酒造店外観

道路に面した蔵や事務所等は明治35年創業時のもので、昭和初期頃までにほぼ現在の形になりました(仕込み蔵のレンガ造り煙突に関しては、昭和20年頃のもの)。敷地は新山の麓の傾斜地で、高低差は6mあり、工場はこの斜面を利用し、階段上に造られています。一番高い場所にある精米所から酒造りが始まり、その下から出る伏流水を利用し、仕込蔵、貯蔵蔵と坂を下って工程が進み、その手前に事務所(店舗)があり、市道を挟んでビン詰め工場という配置です。坂道醸造ともいうべきこの造りは、酒どころ秋田県内でも、めずらしい構造として知られています。

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このページに関するお問い合わせ

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