石碑1「齋藤彌太郎翁胸像」

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ページ番号1003691  更新日 2025年2月25日

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写真:齋藤彌太郎翁胸像

石碑1「齋藤彌太郎翁胸像」の説明

正面の石段を上がったところに、ひとつの胸像が立てられています。

誰の胸像なのか、公園とどんな関係があるのか、そんな質問を受けることがよくあります。胸像の主は本荘名酒「由利正宗」の創業者、本荘町長を何度かつとめた齋藤彌太郎翁(明治元年(1868年)~昭和28年(1953年))です。翁の胸像がそこにあるのは、翁がいわば本荘公園の「救世主」だからです。

本荘城は廃藩置県で陸軍省の所管になりましたが、のち旧家臣団(報旧社)が払下げを受けて植樹や開墾をしていました。ところが旧主六郷政鑑に帰郷永住の志があると聞き、旧家臣団は早速この旧城地を献上しました。しかし政鑑公は、その志を果せぬまま亡くなり、旧城地は六郷子爵家の世襲財産として子政賢、孫政貞と引き継がれました。

本荘町では旧城地を六郷家から借用して公園にする計画を進めていたのですが、窮迫した六郷家は爵位を返上して旧城地を花館村(現在の大曲)の三浦友吉氏に売ってしまいました。本荘の中心であり、大事な史跡である旧城を、そのまま他郷の人のものにしておくわけにはいきません。このとき町長だった齋藤翁は中堅町渋谷氏の協力を得て私財で三浦友吉氏から買い取り、さらにそのあと渋谷氏が取得した分も譲り受け、それをそっくり本荘町に寄付しました。昭和15年(1940年)4月のことです。

今私たち市民の城祉公園として、また本荘の観光名所として誇ることができるのは、齋藤翁のおかげによるものなのです。

石碑1「齋藤彌太郎翁胸像」の位置

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