石碑7「土門惟敬之碑」
石碑7「土門惟敬之碑」の説明
本荘神社の左手に北面した石碑が2基建っています。手前が「土門惟敬之碑」、奥のほうにあるのが「報旧社碑」です。
「土門惟敬之碑」は、幕末から明治にかけてのすぐれた学者土門惟敬をたたえ、「永ク民模ト為ム(=いつまでも人々が手本と仰いでほしい)」と、明治26年(1893年)建立したものです。
建立から100余年を経ましたから読みにくくなった字もありますが、碑文によって土門惟敬という人物をかいつまんで紹介しますと、
「惟敬は文政12年(1829年)の生まれで、幼少のときから聡敏で読書も好み、24歳のとき本荘藩医金鉉鼎の養子となり学問修行のため江戸に出ました。江戸で儒学さらに医学を学び、帰郷して藩の医員、さらに侍医となり、戊辰戦後には藩校総教館の講師に任じられています。惟敬は忠厚・廉直・恭謙で、その人柄は春の陽のように穏やかで暖かみがありました。同志と養育院をはじめたころ、貧しい人々がまさに門前市をなす有様でした。若い人たちには経学を教授し、学問の要は躬行心得=実践し深く理解することだと説きました。惟敬はまた漢詩漢文に秀れているばかりか、国文や和歌にもすばらしい才能をもった学者でした。惜しくも明治25年(1892年)、64歳でなくなりましたが、お墓は龍洞山永泉寺にあります。惟敬には妻タケとの間に子どもがありませんでしたので、タケの縁続きである土田半六を象潟から、むかえて養嗣子にしました。」
碑が造られたあと、半六はクリスチャンの故を以て離縁され、そのあとには惟敬が金氏だったころに生まれている長女の息子を養子にして土門家を相続させました。このひとは土門恒敬といって、絵かきとして活躍した人物です。
石碑7「土門惟敬之碑」の位置
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