石碑6「報旧社碑」

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ページ番号1003689  更新日 2025年2月25日

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写真:報旧社碑

石碑6「報旧社碑」の説明

本荘神社の左手に北面した石碑が2基建っています。手前が「土門惟敬之碑」、奥のほうにあるのが「報旧社碑」です。

「報旧社碑」についてですが、報旧社とは何なのか、その碑が公園にあるのはなぜなのかを、碑文によって簡単に説明してみようと思います。

明治2年(1869年)の版籍奉還によって領地・領民は新政府のものになりました。城はもちろんです。
明治7年(1874年)、政府は旧城地を民間に払い下げることにしました。由緒ある城地を他郷のものに渡してはならないと、旧藩士有志(73名)が「報旧社」を結成し払い下げを受けることに成功しました。社友は政乗霊神の奉祀と城地の開墾や植樹に努力しました。それは禄を失った旧武士たちが生活の資を得るための活動でもありました。

そうしているうちに旧領主である六郷政鑑公から、本荘に帰って永住したいという話が出て来ました。報旧社の面々は、自分達の今日までの努力はその時を期待してのものだったのだと、払い下げを受けた旧城地すべてを六郷氏に献上する手続きをとりました。明治34年(1901年)のことです。報旧社の面々は「地ヲ購イ地ヲ献ズ、忠誠ナラザルハナシ、アア山水トトモニ永ク光栄ヲ伝エン」と自分達がとった道を誇り、喜び、記念に建てたのがこの石碑で、裏面には結社に参加した氏名が6段にわけて彫ってあります。

旧城地は六郷氏の許にもどりましたが、帰郷永住の夢は実現出来ぬまま、政鑑公は明治40年(1907年)7月、他界してしまいました。そして旧城地はいまの本荘城祉公園になるまで、数奇な運命を辿ることになってしまいます。

石碑6「報旧社碑」の位置

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