石碑9「報国戦死之碑」
石碑9「報国戦死之碑」の説明
本丸の南の端にあるお社が招魂社です。その左側に立っている大きな自然石の碑が報国戦死之碑です。
この石碑は明治3年(1870年)の建立ですが、時の知本荘藩知事六郷政鑑が資を下して、亀井山大泉寺住職恵漢をして建設せしめた(本荘町志)ことから亀井山表忠碑とよばれます。しかしこの碑は「従一位行彈正尹藤原朝臣道孝篆額」とあって「報国戦死之碑」と彫られていますから、このほうが正式な名前です。
なおこの九条道孝は戊辰戦争のときの東征総督で昭和天皇の母方の祖父です。なお碑には、明治元年の戊辰戦争のとき本荘藩に協力して戦場に没した、秋田・佐賀・福岡・鳥取・松江・弘前などの藩兵、ならびに本荘藩の戦死者、合計66名の氏名・年齢・戦死の場所・月日、その人たちの行績をたたえる文が刻まれていますが、その撰文と書は当時の本荘藩知事六郷政鑑によるものです。
この碑は初め出戸町字井戸尻に立てられました。碑の前に斎場の建物が設けられ、招魂場、招魂祠とよばれましたが、明治8年(1875年)これらの名は招魂社に統一され、明治12年(1879年)東京招魂社は靖国神社と改称されました。国家神道の体制がしだいに整備されていくなかで、日清戦争さらに日露戦争などがおこり、この地方からも少なからぬ戦没者がでこれらの人々も招魂社に合祀されることになりました。そのため、招魂社は明治40年(1907年)に井戸尻から公園本丸に移されて独立した社になり、報国戦死之碑も社殿東側に遷されました。明治以降における国家神道確立の為の波風にもっとももまれたのはこの石碑かも知れません。
石碑9「報国戦死之碑」の位置
このページに関するお問い合わせ
教育委員会本荘教育学習課
由利本荘市上大野16 由利本荘市市民交流学習センター内
電話:0184-22-0900 ファクス:0184-24-2714
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。