永泉寺山門(ようせんじさんもん)

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ページ番号1003571  更新日 2022年12月14日

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名称
永泉寺山門
所在地
由利本荘市給人町44
構造・形式
総ケヤキ造り、桟瓦入母屋造り、三間一戸
建築年代
慶応元年(1865)

写真:永泉寺山門

概要

龍洞山永泉寺は、元和9年(1623)に入部した本荘藩 初代藩主 六郷政乗が、菩提寺として建立した寺院です。開山となった道叟道愛は、本荘藩の曹洞宗寺院の中心として、「法幢師」の立場にありました。
山門は、文久3年(1863)永泉寺住職三十六世義門達宣の発願により、本荘藩十一代 六郷政鑑の保護を受け、三カ年を要して慶応元年(1865)に完成しました。総ケヤキ造り・桟瓦入母屋造り・三間一戸の構造の楼門で、県内最大級の規模となっています(高さ8.035メートル 桁行7.755メートル 梁間4.95メートル 総重量約50トン)。
棟梁は尾留川惣助・竹内熊平、脇棟梁は安保左治兵衛、彫刻は庄内鹿之沢住人の御船治喜二・遊佐村宮内の後藤幸二郎です。中でも御船治喜二は、鳥海修験の西之坊融朝の弟子となって技を磨いたとされ、名工として多くの作品を残しています(居成社・龍頭寺〈蕨岡〉、善宝寺山門、蚶満寺等)。
主な彫刻として、扉の「寒山拾得」、一層の「獅子」「波に竜」「牡丹に獅子」「松に鷹」「池に亀」、二層では「獏」「雲鶴」「鳳凰」「竜馬」「牡丹」などがあり、それらは虹梁や木鼻、その他各部に施されています。また、一層左右の金剛力士像(仁王像)は、本荘の仏師 梅津巳之吉の作です。
二層内部は、四方の壁面全てに飛天や鳳凰が鮮やかに描かれており、中央須弥壇には釈迦如来像、阿難尊者像、迦葉尊者像、十六羅漢像が安置され、極楽浄土の世界を表しています。釈迦如来像や十六羅漢像は、運慶の系譜を継ぐ京都七条仏師の作で、色鮮やかな製作当時の状態で保存されています。
壁の大型板絵9枚は、本荘藩お抱え絵師である増田象江・牧野雪僊・鈴木梅山・阿部永暉の四名による極彩色の飛天図及び鳳凰図で、一部剥落しているものの、非常に良い状態で保存されています。
一層掲額は、山門建立を発願した永泉寺三十六世 義門達宣筆「龍洞護國峰」の額であり、二層掲額は、本荘藩十一代 六郷政鑑筆「城西禅林」の額です。
このように、永泉寺山門は、本荘由利や庄内の工人による建築装飾豊かな建造物であり、近世末期の秋田・山形を代表する仏教建築物のひとつといえます。

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このページに関するお問い合わせ

教育委員会生涯学習課
由利本荘市西目町沼田字弁天前40番地61 西目総合支所内
電話:0184-32-1332 ファクス:0184-33-2202
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