祝!北前船寄港地 日本遺産認定

ページ番号1003346  更新日 2022年12月14日

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平成30年5月24日、かつて「石脇(いしわき)湊」と「古雪(ふるゆき)湊」の2つの湊が栄えた由利本荘市をはじめとする、全国27市町の北前船寄港地が、日本遺産「荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間 北前船寄港地・船主集落」に追加認定されました。

追加認定が発表された当日は、石脇公徳館とボートプラザアクアパルに地域住民などが集まり、それぞれ記念セレモニーが開催されました。
石脇と本荘の「まち歩き案内人の会」の案内で、御番所跡や社寺など北前船ゆかりの地を巡るまち歩きが行われたほか、石脇公徳館では石脇伝統芸能保存会が日本遺産の構成文化財の一つ「石脇さんぶつ」を披露するなど、地域を挙げて日本遺産の追加認定を祝いました。

写真:石脇公徳館

写真:ボートプラザアクアパル

(石脇公徳館(左写真)とボートプラザアクアパル(右写真)でセレモニーを同時開催しました。)

北前船日本遺産のストーリーの概要

日本海や瀬戸内海沿岸には、山を風景の一部に取り込む港町が点々とみられます。
そこには、港に通じる小路が随所に走り、通りには広大な商家や豪壮な船主屋敷が建っています。
また、社寺には奉納された船の絵馬や模型が残り、京など遠方に起源がある祭礼が行われ、節回しの似た民謡が唄われています。
これらの港町は、荒波を越え、動く総合商社として巨万の富を生み、各地に繁栄をもたらした北前船の寄港地・船主集落で、時を重ねて彩られた異空間として今も人々を惹きつけてやみません。

日本遺産(Japan Heritage)とは

地域の歴史的魅力や特色を通じて、我が国の文化・伝統を語る「ストーリー」を「日本遺産」として文化庁が認定するものです。
従来の世界遺産登録や文化財指定が、登録・指定される文化財(文化遺産)の価値付けを行い、文化財の保護を目的とする一方で、日本遺産はストーリーを語る上で欠かせない地域の有形、無形の文化財群を地域の魅力として発信していくことで、地域の活性化を図ることを目的としています。
北前船日本遺産のストーリーは、石脇と古雪の町並み、石脇湊の御番所跡、石脇さんぶつ、新山神社や八幡神社の奉納物など本市からは12の文化財、全国では301の文化財で構成されています。

近世3つの藩と2つの湊

江戸時代、現在の由利本荘市には、北から亀田(かめだ)藩、本荘藩、矢島(やしま)藩の3藩があり、各藩は子吉川河口に石脇湊(亀田藩)、古雪湊(本荘藩・矢島藩)の2つの湊を設けました。
この2つの湊に入港できる船は200石から500石船で、西廻り航路の湊を経由して直接石脇湊や古雪湊を出入りする船もあれば、近隣の大きな湊で大型船との積み替えを経て出入りする船もありました。
明治17(1884)年の古雪湊の日本船出入り数の記録によれば、500石以上1000石未満の出船数は20艘・入船数は18艘、100石以上500石未満の出船数は112艘・入船数は128艘、50石以上100石未満の出船数は145艘・入船数は128艘、50石未満の出船数は19艘・入船数は20艘で、100石以上500石未満の船が大多数であったことがわかります。
2つの湊から移入・移出された商品は、さらに子吉川や芋川等の舟運により、各藩の内部ともつながっていました。

石脇湊

昔、芋川が子吉川に合流するところを「石の鼻」と呼んでいましたが、その脇に町ができたので一帯を「石脇」と呼ぶようになりました。
子吉川河口からおよそ3キロメートル、現在の三軒町の川岸にあった石脇湊は、亀田藩の重要な湊として栄え、上町、中町、新町、三軒町、緑町の五町に廻船問屋8軒、北前船を迎える旅館・料理屋が軒を連ね、花柳街の華やかさとともに、にぎやかな町をつくっていました。
湊へは北前船によって、北海道からニシンやコンブなどの海産物、北陸・山陰・大坂など上方からは塩・木綿・紙・かさ・瓦・蠟などが運び込まれてきました。
石脇湊から積み出されたのは大部分が米で、大豆・材木なども積み出していました。

古雪湊

慶長17年(1613年)の検地帳によれば、「古雪村」は内越(うてつ)郷にあったといい、現在の古雪地区に町割りされたのは、慶長年間の終わり頃(江戸幕府成立前後)と言われています。
地名が歴史に登場するのは戦国時代、天正18年(1590年)のものとみられる南部氏の書状に”ふるき”の名が記されています。
また、文禄年間(1593年~1596年)と推定される「太閤朱印状」によると、津軽公より太閤に献上される鷹の餌の供給地に”ふるき”が指定され、この頃すでに湊として広く知られていたことがわかります。
古くから湊町として栄えた古雪は、「廻船問屋十人仲間」と称された本荘藩公認の株持ち問屋が10軒あり、船乗りのための旅館街や花柳街があるなど、古雪町、大工町・西町(のちに肴町)、中町、大町は町として大いににぎわっていました。

本市の構成文化財

番号

構成文化財の名称

指定等の状況

ストーリー中の位置づけ

1

古雪の町並み

未指定

北前船により繁栄した古雪湊(本荘藩)周辺の町並み。

2

新山(日和山)

未指定

北前船の船乗りたちが出航前に日和をみた場所。子吉川河口付近北側に位置する。

3

新山神社奉納物

未指定

北前船の運航の安全を祈願した石灯籠や石製鳥居が奉納されている。

4

石脇湊の御番所跡

未指定

北前船により繁栄した子吉川沿いに残る番所跡。(大渡口御番所跡・西ノ口御番所跡ほか)

5

石脇絵図

未指定

北前船により繁栄した子吉川沿いの様子を描いた絵図。

6

石脇の町並み

未指定

北前船により繁栄した石脇湊(亀田藩)周辺の町並み。酒・醤油・味噌等の醸造が盛んであった。

7

稲荷神社

未指定

北前船で財をなした廻船問屋佐藤家の氏神としてまつられた稲荷社。

8

石脇さんぶつ

未指定

北前船の船乗りたちが石脇湊に伝えた儀式唄。

9

本荘八幡神社奉納物

市有形

(歴史資料)

本荘八幡神社に北前船の船主らによって奉納された狛犬や船絵馬。

10

松ヶ崎八幡神社石製狛犬

県有形

(歴史資料)

松ヶ崎八幡神社に奉納、安置されており、北前船により運ばれた狛犬。

11

本荘郷土資料館資料群

未指定

北前船で運ばれた越前瓦や、船だんす(懸硯)など北前船に係る資料群。

12

宮下神社の船絵馬

未指定

航海の無事を祈願し、北前船の船主らが奉納した船絵馬(市内最古・旧本荘市)。

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