第二節 各丁の山車と芸能 |
1.仮装 |
八朔祭の呼び物のひとつに、仮装というのがある。仮装とは事実上さまざまの趣向を凝らした服装で扮装するのであるが、それに引き続いて山車を曳くもので、この山車も含めた総称として呼ばれてきている。仮装そのものが演じる出し物は全て若者が取り仕切り、若者始め町内の子どもたちによって行われる。仮装という扮装はさることながらも、それに加えて踊りが披露されるために、かなり早くからその題を決め、練習を始めることになる。踊りとしては創作も含め、流行歌謡曲もあり、さまざまだが練習指導には踊りの師匠を依頼するところもあるほどだ。殆どの丁内では宵宮前日の夕刻には町内集会所前で、町内に踊りの採集練習と披露を兼ねて踊る。平成14年の八朔祭で出された仮装は次の通りである。 |
水 上 水上ヨイショ! | |
新 丁 新丁みんなでどっこいしょ | |
田中町 ズンドッコイショ | |
城 新 ワッショイまつりっ子神輿ロッカーズ | |
舘 町 供 奴 | |
七日町 秋田音頭ロック | |
このうち舘町だけは若者の会を青年会と呼び、青年会が主体になって供奴(ともやっこ)役者に扮した、古典的な踊りが披露される。舘町ではこの忠信だけではなく、鏡獅子、とも奴、毛槍奴、の四種として一年ごとに順次繰り返すことになっている。これを始めたのは昭和27年の祭礼からとされ、それまでの一般仮装から、古式でできるだけ動きのあるものにしたいということから撰ばれたもので、以来舘町の伝統として演じられている。この仮装踊りは祇園囃子によって演じられている。 |
仮装は八朔祭当日の早朝6時ころからそれぞれの集会所でもって、予め用意された服装や化粧を行う。この後、新丁等では氏子六丁以外に周辺在郷集落に出掛けて仮装、踊りを披露する。やがて9時45分からは大川原から出発し丁内を山車とともに夕方まで何カ所もの地点で披露していくのである。 |
このような仮装による踊りが付けられるようになるのはいつ頃かといえば、近世の記録には見いだすことができないが、写真資料をみる限りでは昭和の初めにはなされていたようである。仮装は付け祭りの感も否めないであろうが、八朔祭における風流出し物としては近代的ながらも必然的な発生と思われる。 |