2.山車 |
祭礼の奉納には山車を曳き回すこと、それに行列人数がつき、仮装をして芸能の奉仕もつけられている。この山車においても、何時ごろから八朔祭礼において行われるようになったのかは明らかではない。仮装に続くのが山車である。この山車は各町内ごとにひとつづつ出され、賑やかさ、楽しみ、見世物を意識させ、これをもって祭礼の神賑行事を高めるとしてきた。しかし、この山車は宵宮祭における御神輿のお下りに供奉するということはなく、ただお披露目ということで各町内のしかるべき所に安置して、広く公開するのみである。それに対して当日は盛大に曳き回されるのであるが、本来は御神輿巡幸に供奉して廻るという山車であるはずが、ここでは全く単独で、仮装と一体になって御神輿とは別の行程で、むしろかち合わないようにして各氏子丁をくねるものである。このような点では仮装と同じく付け祭りにあたるかもしれない。 |
まず、曳き山が出される八朔祭当日は、早朝より大川原に六丁の山車が揃う。各丁ではそれぞれその年の主題を決めて山車人形をこしらえ、それにあった背景なども設定し山車に乗せたものである。前の方は太鼓の囃子方が乗れる程度の場所をとり、その後ろに主題の人形となるが、この人形などの作り物に趣向が凝らされて、見る人を歓ばせている。山車の後ろは絵が描かれたり、酒樽や俵を積み上げて飾るなどするところも見られるが、これは決まっているわけではない。屋根はかって、ほとんどかけられるつけられることがなく、むき出しで高く掲げられる人形や作り物であったが、近年は雨天の場合を考えて簡素な屋根をつけるところもある。 |
平成14年の祭礼では山車の人形や作り物の主題は、 | |
水 上 千と千尋の神隠し | |
新 丁 陰陽師 | |
田中町 COME!COME!ベッカム!! | |
城 新 花さかじいさん | |
舘 町 本能寺の変 | |
七日町 利家とまつ | |
というものである。山車は練り子という子どもが両側の綱を曳き、その中を梶棒役が方向を決めることになる。山車につけていくのが仮装踊りの者たちだが、山車の作り物の題材と仮装芸能の関連は全くない。またかつて練り子たちも物語の人物に扮したこともあった。練り子たちは丁内に至ると沿道各家々からの小銭を入れたお花(ご祝儀)をもらい歩く。曳き山には太鼓の囃子方が乗り、笛はそれに歩きながらっいていく。囃子方も殆どが丁内の子どもたちで行われ、それぞれ数週間前より練習をしてきたものである。 |
曳き山につけられる奏曲には祇園囃子・剣囃子・さいさい囃子・戻り太鼓という四曲があり、曳き山が動くごとに囃子がつけられる。祇園囃子は京都祇園八坂神社の祭礼に囃される賑やかな囃子の拍子や奏法の流れを汲むものといわれる。剣囃子は、神前に奉納するという囃子で、もとは舞がつけられていたとされる。この舞というのは神楽の舞(獅子舞)ではなくて民舞風のものをいうのである。さいさい囃子は、明治時代に菊地賢蔵が角館でさいさい節をニカ月習ってこの地に伝承したと伝えられる。さいさい節というように地唄によくある民謡調の節とするもので、これに踊りがついた。戻り太鼓は、もとは戻り山車といったように文字通り曳き山車が戻るときに奏でられる囃子としている。 |
八朔祭の当日のみにしかこの山車は出ないもので、全て若者の手によって行われ、この経費は軒花のお花代や寄付によって賄われてきた。当日、仮装踊りを先にして練り子によって曳かれ、午前9時45分に大川原から出発し、豊町角、丸森橋、天寿酒造、矢島駅前、再び天寿酒造を通り、小田まで揃って巡行し、その後自丁に戻るのである。終わるのが大体午後9時ころとされる。六丁の山車の順番は水上・新丁・舘町・城新・田中町・七日町、と続き最後が当番丁の山車となっている。 |