6.各丁による神楽太鼓
 八朔祭には神楽太鼓が花ともされてきた。神楽太鼓は撥が太くて、舘町の若者中ではこの撥で夜神楽を威勢よく叩くのが最大の花だといわれているほどである。前項に述べるように神楽というのは神楽屋台であり、山車の一種ともされていた。屋台に宮形をつけてここに獅子頭を安置し、それに太鼓を二台載せて、曳き回すことのできる山車の小型化したものである。かつては人手で持ってあるくために棒がつけられていたとされるが、今では車台に替わっている。神楽の宮形屋根にはさまざまな飾りをつけて葺き、注連縄を回す。ところによっては屋根に稲穂を束ねて棟にあげて飾り、軒花を周りに差し込んでいくのである。山車状の屋台は約一間四方ぐらいに高さが一間半ほどの小型であるが、これを曳き回していくのである。小型ながらも上に高くなり、宮形を飾り立て、囃子ものがつくという風流系山車の特色を備えている屋台といえよう。これを神楽と呼んできたのは、その囃子とここに安置される獅子頭に由来すとみられる。即ち、獅子頭を神楽というのは獅子舞のうち伊勢流太々神楽によると考えられ、その囃子の奏曲が本荘由利郡一帯にある大々神楽に類しており、恐らく神楽舞(獅子舞)も伴っていたものと考えられるのである。
 神楽は若者によって仕切られるもので、各丁では奏曲の名が同じでも微妙に叩き方や鳴らし方が異なっている。それで、今日では宵宮祭に御神輿が御旅所に安着すると、六丁が揃って矢島駅前広場で競演会というのを行い、多くの人びとに披露している。この神楽太鼓に合いの手として入れられる掛け声に、「アラ、セッキョ」というのがあるが、その意味は不明である。
神楽の門祓い 神楽屋台の巡行 神楽の共演会
 神楽の太鼓屋台は、各丁内において数日前より組み立てられていく。宵宮祭の日までは神楽屋台はできるが、この日午後には各丁の若者が獅子頭のみを捧持し、それに囃子方がついて門付けをしてまわるものである。獅子頭をもたない丁内があるが、それは別当家とか、他地域の神社より借り受けて行うもので、神楽屋台には必ず獅子頭が安置されることになる。七日町の若者では宵宮祭の日、早朝7時30分から観音堂で修祓式がなされる。神官による大祓を行い、神楽をはじめ諸道具を清め、祭りに関わる人びとを祓うものである。この後、お頭(獅子頭)を捧持して、大麻をもち、太鼓と笛で灘子をつけて各家々に門付けしながらのお祓いに廻る。このことを獅子振りともいう。他に、軒花配りの役も直ぐさま観音堂を出てまわることになる。この間に山車や神楽の最終的な飾り付けや点検をする。朝の、この修祓式は七日町の若者だけが行っているもので、他の丁内は行っていない。午後3時50分からは若者全員が慈眼閣(集会所)で宵宮祭出陣式というものを行う。若者頭の挨拶、各役付半纏授与、諸連絡、総指揮挨拶、乾杯、そして出陣という順で進められていく。山車は町内の空き地に安置してそのまま披露されるが、神楽については出陣式の後、宵宮で御神輿のお下りに供奉して神楽の通らない小路には、独自に神楽屋台を曳き回すものである。夕刻5時30分には再び神楽が慈眼閣に夕食を摂り、そして6時30分には駅前に神楽屋台が六丁とも集まる。ここから若者による神楽が神明社に御神輿を迎えに出て、神明社境内で待機をして御神輿と一緒にお下りとなる。お下りの途中、豊町角では一斉に神楽の演奏を行い、そして新丁の宇賀神社のお旅所まで巡幸をして戻る。お旅所まで供奉すると神楽は駅前広場に再び六丁が集まり、神楽の競演会となるものである。終わって、それぞれ自丁の戻ることになる。
 神楽は宵宮祭の日に御神輿がお旅所にお下りする時だけに供奉して曳き回すことになり、当日は神楽屋台の出番はない。しかし、以前には一週間前から神楽回しといって、獅子頭を棒持して氏子六丁をはじめ在郷まで廻ったことがあり、当番丁の神楽のみは当日の御神輿の巡幸に供奉したこともあったが、今はいずれもなされていない。このように各丁ではそれぞれ獅子頭を安置した神楽屋台を持ち、それらは若者によっておこなわれているのである。
 

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