八朔祭の宵宮はこの長持ち奉納が行われるもので、この日午後に宿に集まり、ここから長持ち行列がはじまることから、さまざまな仕立て用具を準備する。夕刻前には宿で神官の祭式があり、御祓いを受ける。長持ち道中の服装は、半纏に黄色の晒布帯で欅掛けをして、ケンダイというわらで編んだ腰蓑状のものを着け、鉢巻き、草軽履きをする。長持ち、樽持ち、福俵持ち役などの者は三尺くらいの竹で力杖というものを持つ。そして、夕方、いよいよ宿を出る。出立ちには酒樽を囲み長持ちを唄を数番唄ってから担ぎ出し、行列をなす。 |
長持ちというこの行列は、最初に若者頭が提灯を持ち先導し、次に棒頭(唄頭)が後ろ向きに進み、それに御神酒・福俵・名札持ちがついて、その後に酒樽を担いでくねる。酒樽の後が奉納屋台で、これが長持ちにあたり、納め物ともいう奉納品が載せられているものである。八人ぐらいにより、法螺貝が露払いをしていく。これに福俵持ちが八人ぐらいつくこととなり、笛吹、踊り子が続いていく。最後列が太鼓屋台となるもので、これは矢島の神明社のような神楽太鼓ではなく、純然たる太鼓のみで、獅子頭などはこの行列にはみられない。踊り子はさいさい難子・剣難子・狐剣・秋田音頭の四曲が道中の所々で披露される。道中の作法は若者頭の提灯によって合図され、高く掲げると行列は止まる。これをショモンダというが、地元ではこの言葉の意味を不明としているが、恐らく所望(しょもう)するということで、祝い唄や芸能の披露を要求することではなかったかと思われる。だから、ショモンダとなれば棒頭が棒を出して行列を止める作法をして、名札持ちはこれを勢いよくぶつけ合わせ、そして唄頭が唄い出すと、皆が続けて唱和して唄い、唄い終わると揃いの足で歩き出すのである。歩き始めると奉納物や福俵は激しく揺さぶったりして勢いをつけていくのである。沿道では各戸から振舞酒を出して祝いと労いを表すが、その度ごとに止まるので、神社までたどり着くにはかなりの時間を要する。 |
長持ち行列は、かつていくつかの組が出されたが、その時に長持ちと長持ちが行き会うことになれば、樽開きをしなければならないとか、橋にかかるとコバシという唄を唄わなければならない、さらにショモンダなどという作法が備わっている。また若者組に加入して、この長持ち行列の役にあたっては、最初の年は新客といい、小遣い役である。次に担ぎ手(長持ち)、酒樽持ち、名札、そして棒頭役になっていく。その後、祭典係を経て、若者頭になることができるという階梯性もみられる。 |
長持ち行列が神社に着くと、境内に入るころからさらにゆっくりと進められる。そして時間をかけて拝殿までくると酒樽、名札、長持ちの納め物を勢いをつけてあげる。神前に納め、若者頭が代表で祭式に参列する。長持ち行列に着けてきたケンダィはこの時、拝殿向拝の柱に巻きっけて納める。こうして長持ち行列は終わるが、この後境内ではさまざまな奉納芸が舞台のうえで行われていく。 |
八朔祭の当日は宵宮とは異なり神社での祭式もなく、ただ近年は子ども神輿が繰りだされたり、太鼓芸や鼓笛隊のパレード、演芸会などの余興を行っている。笹子の月山神社八朔祭では、御神輿の渡御はみられないものの、この長持ち行列をもって神賑行事として伝承してきたのであるが、恐らくこれは八朔祭が贈り物をする日に由来することにあるのではないだろうか。長持ちという風習に特色があるが、月山神の信仰からすれば、月夜見命を祭神とすることによって、月齢による暦を主とする時代にあって、月が農事に関わりが深いとされる。このようにみると、笹子の月山神社八朔祭は、農耕信仰に基づいたものでもあり、さらに風流芸能のともなう長持ち行列もまた八朔のひとつの信仰を浮き彫りにするものであるといえよう。要するところ長持ち奉納は、近世の八朔習俗に贈答の風習がなされてきたことに人きく影響しているに違いなく、それは即ち奉納神への献上物として、それを頼み信仰へと結びっけ、五穀の豊饒を祈るというものであろう。こうした点では矢島の神明社八朔祭とは祭礼上で多いな差異があるといえる。 |
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