2.鳥海町笹子の月山神社八朔祭
 秋田県においては、神社における八朔祭礼が行われているのはこの矢島神明社と、隣接する鳥海町笹子の月山神社の八朔祭である。ここでは、比較の意味で月山神社の八朔祭を観てみたい。
 矢島から東南にあたり、子吉川の上流伏見(鳥海町)で笹子川と合流する、笹子川を遡ったところに笹子がある。笹子は上笹子、下笹子に分かれているがこの両集落の鎮守は月山神社としている。奥宮は雄勝郡の境となる月山の頂上に鎮座して、山頂からは笹子一円の他に、川内、仙北地方までみえるという。奥宮は二間四方の社殿があり、延宝5年(1677)の阿弥陀如来木造を安置し、俳額には寛政11年(1799)の銘がみられる。里宮は集落民家の多い下野に位置して、笹子の総鎮守とされる。里宮社殿は四間に一間の一殿造りで、延宝6年(1678)の木彫の御神体を祀る(鳥海町史編纂委員会編『鳥海町史』/昭和61年11月/鳥海町)という。この月山神社の創祀は不明であるが、笹子集落が今から400年以上前に形成されたといわれ、それに御正体の年号からして近世初期には既に創祀されていたのではないかと思われる。明治にはこの月山神社が総鎮守格でもあることから、44年の神社合祀では笹子一帯の神社30社を合祀したとされ、文字通り笹子一円の産土社的性格ももつ、という。祭神には月夜見命他一四柱を祀る。
 この月山神社の祭礼が八朔祭である。八朔祭は月山神社の例祭として旧暦八月一日を祭日としてきたが、現在では9月の第一土曜日、日曜日があてられている。八朔祭は、宵宮の日が一番賑わしいもので、若者組による長持ち奉納という行事がある。長持ちというのは、かつて長持ちに入れた神社の奉納物であったことによる名残だが、今は必ずしも実際の長持ちではなく何らの奉納物を樟にして担いだり、台に乗せて曳き回す。これを長持ち行列といい、道中では必ず長持唄を歌い、集落巾を回り、最後に神社に奉納するというのである。月山神社は笹子の総鎮守といわれるが、八朔祭礼は町・下中・下野・新丁という四地区で行うものである。若者組は四丁全部一本化で組織されている。若者組への加入は学校を卒業して、年齢の上限はないという。かつては男子で15歳からの加入であったが、次第に人数も少なくなり、男女問わず、年齢にも制限をもうけることがなくなった。しかし、長持ち行列は若者男子のみで、女子は裏方を勤める。ただ、これは八朔祭礼の長持ち行列ということから、不幸があれば一年、お産にかかれば三日間は関わることができないとされる。かつてはこの若者組加入するには厳重な儀式や条件があったというが、今はみられないことである。

笹子の月山神社八朔祭の長持ち行列

 
 さて、お盆過ぎになると組で相談会があり、ここで祭礼の内容を決め、係りがまず奉加を求めて廻る。この長持ちの宿は四丁の上と下が交互に、主として新築のあった家が当たることになっている。奉納長持ちの品は真榊、御簾、太鼓などがあったが、その年によって異なるもので、幟旗などもあった。踊りや道中で唄う長持唄、それに棒頭の作法などを祭日までに練習する。練習場所は公民館があてられる場合が多い。前日にはケンダイ回しといって、わらで腰蓑を作る。
 八朔祭の宵宮はこの長持ち奉納が行われるもので、この日午後に宿に集まり、ここから長持ち行列がはじまることから、さまざまな仕立て用具を準備する。夕刻前には宿で神官の祭式があり、御祓いを受ける。長持ち道中の服装は、半纏に黄色の晒布帯で欅掛けをして、ケンダイというわらで編んだ腰蓑状のものを着け、鉢巻き、草軽履きをする。長持ち、樽持ち、福俵持ち役などの者は三尺くらいの竹で力杖というものを持つ。そして、夕方、いよいよ宿を出る。出立ちには酒樽を囲み長持ちを唄を数番唄ってから担ぎ出し、行列をなす。
 長持ちというこの行列は、最初に若者頭が提灯を持ち先導し、次に棒頭(唄頭)が後ろ向きに進み、それに御神酒・福俵・名札持ちがついて、その後に酒樽を担いでくねる。酒樽の後が奉納屋台で、これが長持ちにあたり、納め物ともいう奉納品が載せられているものである。八人ぐらいにより、法螺貝が露払いをしていく。これに福俵持ちが八人ぐらいつくこととなり、笛吹、踊り子が続いていく。最後列が太鼓屋台となるもので、これは矢島の神明社のような神楽太鼓ではなく、純然たる太鼓のみで、獅子頭などはこの行列にはみられない。踊り子はさいさい難子・剣難子・狐剣・秋田音頭の四曲が道中の所々で披露される。道中の作法は若者頭の提灯によって合図され、高く掲げると行列は止まる。これをショモンダというが、地元ではこの言葉の意味を不明としているが、恐らく所望(しょもう)するということで、祝い唄や芸能の披露を要求することではなかったかと思われる。だから、ショモンダとなれば棒頭が棒を出して行列を止める作法をして、名札持ちはこれを勢いよくぶつけ合わせ、そして唄頭が唄い出すと、皆が続けて唱和して唄い、唄い終わると揃いの足で歩き出すのである。歩き始めると奉納物や福俵は激しく揺さぶったりして勢いをつけていくのである。沿道では各戸から振舞酒を出して祝いと労いを表すが、その度ごとに止まるので、神社までたどり着くにはかなりの時間を要する。
 長持ち行列は、かつていくつかの組が出されたが、その時に長持ちと長持ちが行き会うことになれば、樽開きをしなければならないとか、橋にかかるとコバシという唄を唄わなければならない、さらにショモンダなどという作法が備わっている。また若者組に加入して、この長持ち行列の役にあたっては、最初の年は新客といい、小遣い役である。次に担ぎ手(長持ち)、酒樽持ち、名札、そして棒頭役になっていく。その後、祭典係を経て、若者頭になることができるという階梯性もみられる。
 長持ち行列が神社に着くと、境内に入るころからさらにゆっくりと進められる。そして時間をかけて拝殿までくると酒樽、名札、長持ちの納め物を勢いをつけてあげる。神前に納め、若者頭が代表で祭式に参列する。長持ち行列に着けてきたケンダィはこの時、拝殿向拝の柱に巻きっけて納める。こうして長持ち行列は終わるが、この後境内ではさまざまな奉納芸が舞台のうえで行われていく。
 八朔祭の当日は宵宮とは異なり神社での祭式もなく、ただ近年は子ども神輿が繰りだされたり、太鼓芸や鼓笛隊のパレード、演芸会などの余興を行っている。笹子の月山神社八朔祭では、御神輿の渡御はみられないものの、この長持ち行列をもって神賑行事として伝承してきたのであるが、恐らくこれは八朔祭が贈り物をする日に由来することにあるのではないだろうか。長持ちという風習に特色があるが、月山神の信仰からすれば、月夜見命を祭神とすることによって、月齢による暦を主とする時代にあって、月が農事に関わりが深いとされる。このようにみると、笹子の月山神社八朔祭は、農耕信仰に基づいたものでもあり、さらに風流芸能のともなう長持ち行列もまた八朔のひとつの信仰を浮き彫りにするものであるといえよう。要するところ長持ち奉納は、近世の八朔習俗に贈答の風習がなされてきたことに人きく影響しているに違いなく、それは即ち奉納神への献上物として、それを頼み信仰へと結びっけ、五穀の豊饒を祈るというものであろう。こうした点では矢島の神明社八朔祭とは祭礼上で多いな差異があるといえる。
 

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