6.舞楽奉奏
 「祭典記録」によると、昭和17年楽人浦安舞伝習会実施とある。同じく「郷社器具台帳」の、昭和17年度年番七日町・新町から、舘町に引き継がれた従来からの器具類の外に、16年12月8日七日町婦人有志寄附、
  一、御神楽器  一式
    楽太鼓 一   掲鼓 一   鳳笙 一  箪築 一  横笛 一
  一、浦安舞装束 二着
と記録されている。
 そして同年の祭典から舞楽奏上、浦安舞奉納とある。
 これは、昭和15年(1940)8月に紀元2600年の奉祝祭の舞として「浦安舞」が公式に制定され、全国一斉の奉奏が決定した。
 弘文堂発行『神道事典』には
  明治にできた祭祀規程にも巫女の規程は無く、伝統的神事芸能も男性が担っていた  が、このときはじめて浦安の舞姫として祭祀の表舞台にも女性の出番が確保されたの  である。
としるされている。
 当時を語る写真が残されているが、小番平三・用七兄弟、小番安吉、森行道、阿部祐次郎、村山喜平の各氏等が、出羽の冨士の別館で猛練習をして祭典に間に合わせたとか、その後欠員が生じ、神主の村上政彦氏、矢越隆弘氏も楽人をっとめた様だが、昭和27年からはテープを使用し、祭事の献僕と撤僕の際と、浦安舞奉納のとき雅楽の曲を用いている。
 浦安舞は、当番丁の女子中学生2名が舞を奉納しているが12年は大当番が七日町で中学一年の佐藤美幸さんと東海林佐織さんがその大任を果たした。

 舞の指導は、約20年位前から豊町の佐藤邦子氏が当たっている。
 
 

平成14年の浦安舞

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