2.祭礼日の変遷 |
八朔祭りの呼称通り藩政期は、七月晦日が宵宮で、翌八月朔日が祭日、二日三日の余興などが行われた。勿論お殿様の御入部などで祭礼日の変更がなされたことは前述の通りである。 |
明治5年12月3日を6年1月1日とする太陽暦が採用されたが、従来通り旧暦(太陰暦)の八月朔日を祭礼日としきた。 |
明治43年太陰暦廃止により、この年から9月16日宵宮、同月17日祭日と改めた。 |
昭和38年、稲刈りの時期が早まり、早場米制度の実施や、台風の時期などを考慮してこの年から10日繰り上げ9月6日宵宮、7日祭典と変更する。 |
ところが年々若者衆の数の減少、更に会社・工場などへの勤め人が多くなり、又、町民や近隣町内からの観衆への配慮などで、休日にしてほしいとの要望が多く、昭和58年の祭典から現在のように、9月第2日曜を祭典日とし、その前日の土曜に宵宮と改め現在に至っているが、名称は「神明社八朔祭」と称し、藩政期以来変わりはない。 |