矢島の神明社八朔祭の図

館岡栗山画
 四百年近くの伝統を持つ矢島の祭りは、古くから八朔祭と呼ばれ、陰暦の八月朔日に行われてきました。神明祉杜誌には、寛永17年(1640)矢島が生駒氏所領となって、神明社が一郷領地の鎮守となり、陰暦八月朔日に祭が執行されたとの記録が残っております。八朔祭が近郷近在から多くの人々が集まる矢島の重要行事となったのは、明和9年(1772)の新しい神輿を注文してのお迎え、その8年後、安永9年(1780)の殿様初めての国入りに合わせての祭りの執行、この頃からではなかったかと推察されます。
 
 当時の氏子は田中町・舘町の二町でしたが、明治中頃四町に、更に戦後六町に拡大されたり、お神輿のおくねりをはじめとして祭典の簡略化があったり、更には祭典期日の変更などと、いくっかの変遷がありましたが、神明社を中心に氏子町内の世話人の方々や各町内の祭典関係者の皆様等、多くの人々がかかわって長い間守られ、今日まで受け継がれてき た祭りであります。
 

 

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