竜馬山の由来(「竜馬」は校歌の一節にもあります)

竜馬山の由来について(昭和47年 本荘市教育委員会発行「郷土の研究第4集」より抜粋)

 竜馬山にまつられている神様は、馬頭観音です。北ノ股の山本忠治さんが守っています。
 昔,山の下に小さな沼池があって、そこには頭の部分は竜ですが、体つきがの姿をした生きものが住んでいたのだそうです。その不思議な生きものは、馬頭観音の使者だったのだそうです。そこで、その馬頭観音という神様を神社にまつって守ることにし、泉光坊という、由利36坊の中の一人が守ることにしたのだそうです。現在の泉光坊が、北ノ股の山本忠治さんなのです。
 竜馬山という名は、その沼地に住んでいた生きものからつけられましたが、電馬のお祭りは、毎年7月8日に行われます。竜馬山のお祭りは、馬頭観音の神様をまつっている神様で、竜馬山にお参りすると良いがさずかるというので、たくさんの人々が祭りにはお参りに来たものだそうです。
 今から60数年前のことだそうですが、由利町蒲田に住んでいた徳兵衛さんの白馬が,お祭りの前夜に竜馬山の頂上めざして一気にかけ登ったということです。泉光坊さんがお祭りの日、竜馬山の馬頭観音神社にお参りに行ってみると、急な坂の頂上に白馬が立っているのをみてびっくりしたのだそうです。しかし、白馬は、かけ登ってはみたものの、竜馬山があまりに急な坂道なので降りることができないでいるのだそうです。
 そこで、北ノ股の鈴木三五郎さんの家に、力自慢の義蔵という人がいますので、泉光坊さんは、 その義蔵に頼みました。義蔵は力いっぱいに腕に力こぶをこしらえて、白馬の前足を背負い、後足で歩かせながら、急斜面を下らずに、回り道をしてゆっくりおろしたのだそうです。その徳兵衛さんの白馬を村人たちは「神馬、竜馬の化身だ。」と、もっぱらうわさしたものだといわれています。
 今も、竜馬山のお祭りは北ノ股の人々によって続けられてきています。しかし、昔あったと伝えられる。頭が竜で体が馬の姿をした生きものが住んだ沼地を、今はもう竜馬山のふもとのどこを探しても見ることはできません。

 「電馬山について」 
 むかし、南ノ股の山の奥に沼があり、そこに竜馬がすんでいました。竜馬は、ときどき、山の峰づたいに南ノ股や北ノ股の里におりてきては田や畑を荒らし回りました。村人たちは、そんな竜馬に困りはてて、赤田に住んでいるえらいぼうさん「閑居さま」に救いをもとめました。
 村人のたのみを聞いて閑居さまは、さっそく沼へやってきました。そして、竜馬に会って、岩山の頂上に「ほこら」(小さなやしろ)をつくってやることや、村との境界にすぎの木を植えて、そこよりは村に入ってこないことなどを約束させました。
 村人は閑居さまのさしずにしたがい、村の境界、田んはと山の境界にすぎの木を植え、岩山の頂上には、小さなほこらを建てて竜馬をまつることにしました。そして、その山を「竜馬山」と呼ぶことにしました。
 それから後は、竜馬は村里におりてきて田畑を荒らすこともなくなり、人々は平和な生活を過ごせるようになりました。昔は、農家の仕事には馬が大切な役割を持っていました。それで、どこの家でも馬を飼っていました。そして、馬を家族のようにかわいがりました。村人は、竜馬山にお参りするとよい馬がさずかるというので、よく山に登りお参りしたものだそうです。