亀田城佐藤八十八美術館(亀田の歴史)

亀田の歴史



■亀田藩の領地
 旧岩城、旧大内町を中核として由利本荘市石脇地区、秋田市下浜地区、旧雄和町、西仙北町が含まれた地域です。

■亀田藩の成立
 元和9年(1623)7月徳川家光が三代将軍に就任。同じ年の12月に岩城吉隆(いわきよしたか)が信州川中島から転封されて亀田に入部しました。以後、明治4年(1871)の廃藩置県までの間、多くの優秀な人材を多数輩出しながら亀田藩二万石として栄えていました。

■城
 亀田藩は無城格(城持ち大名ではない)の大名領で、吉隆が入部した時、高城山の北向きの斜面に造られた藩の政庁と殿舎は「亀田陣屋(かめだじんや)」と呼ばれていました。陣屋は、大きく分けて二つの部分からなり、手前の政庁舎は大広間、上段の間、二ノ間、三ノ間、と家老部屋、用人部屋などの御用部屋が廊下の左右に配置され渡り廊下と階段で奥の殿舎と繋がれていました。

奥の殿舎は、上段ノ間、二ノ間、三ノ間からなる書院と藩主や奥方の私室からなっていたといわれています。

陣屋の城は、八代藩主・隆喜(たかひろ)の代になって、善政が認められ、嘉永5年(1852)12月27日城主格に昇格し、亀田城、天鷺城と呼ばれるようになりました。


              『旧亀田城絵図写』 阿部七郎氏寄贈

■歴代亀田藩主
初代・吉隆(よしたか)1609~1671…

 
元和9年(1623)12月信州川中島より国替えとなる。寛永元年(1624)亀田領の検地を行い、亀田城下の町づくりをはじめる。
18歳になった寛永3年(1626)4月、秋田藩初代藩主・佐竹義宣に養子入りし、佐竹藩二代藩主に就いて義隆と改める。これは、吉隆の父・貞隆が佐竹藩初代藩主・義宣の弟であり、義宣には跡取りがなかったためである。
2代・宣隆(のぶたか)1584~1672… 佐竹義宣や貞隆の弟で、兄貞隆の嫡男で亀田初代藩主・吉隆が途中で義宣の後を継ぎ、秋田藩第二代藩主となったため急遽亀田藩に入ったもの。
真田幸村の娘・田(顕性院・お田の方)が後室。寛永5年8月岩城家を相続、11年に宣家を宣隆に改めた。
3代・重隆(しげたか)1628~1707… 現在も月峰公(げっぽうこう)と呼ばれ、名君の誉れの高い藩主。新田の開発をし、藩の財政の基礎確立にも力を尽くした。城下町の整備にも取り組み、現在の町並みがこの時代にほぼ整ったとされる。また、水戸光圀の知遇を受けたことでも知られる。
4代・秀隆(ひでたか)1673~1718… 3代藩主重隆の長男・景隆の子。景隆急死ののち祖父の命で相続。
5代・隆韶(たかつぐ)1708~1745… 伊達氏から養子に迎えられた。亀田藩学の礎を築いた藩主。
6代・隆恭(たかよし)1724~1782… 伊達一門から養子に入る。相続した延享以降、凶作が続く時代だった。
7代・隆恕(たかのり)1765~1817… 天明6月藩校長善館創設。農民一揆や境争いの多い時代の藩主だった。
8代・隆喜(たかひろ)1791~1853…
 
天保元年シーボルト事件関係者オランダ大通詞・馬場為八郎を預けられる。善政を認められ嘉永5年12月27日、陣屋から城主格に昇格。
9代・隆永(たかなが)1837~1855… 8代隆喜4男。在任2ヶ月で死去。
10代・隆信(たかのぶ)1838~1855… 8代隆喜5男。安政2年に兄隆永の養子に改められたが、在任2ヶ月で死去。
11代・隆政(たかまさ)1842~1861… 8代隆喜6男。兄隆信の養子となったが在任6年で死去。
12代・隆邦(たかくに)1844~1911… 明治元年(1868)9月21日亀田城が官軍によって焼かれる。
13代・隆彰(たかあき)1863~1879… 堀田正誠の長男、隆邦の養子となる。明治4年7月亀田藩が廃され亀田県となる。
明治4年(1871)
明治5年(1872)
明治6年(1873)
 
11月2日、亀田県が秋田県となる。
8月藩校長善館が廃校となる。
8月藩校長善館の跡に敬業義塾が創立される。
11月1日亀田城学校が創立される。同時に敬業義塾を廃止する。