亀田城佐藤八十八美術館(佐藤八十八について)

佐藤八十八について 

旧亀田藩の石脇出身。建築資材、荒物などを扱う店を経営。佐藤氏は佐藤家三代にわたって収集してきた美術品等のコレクションを岩城町に寄贈した人物です。明治40年、秋田県本荘市石脇に佐藤佐助、チヨの二男として生まれました。長じて、佐藤八十八(二代目)の養子となり、養父の名を襲名しました。若い頃から、経営の才覚を発揮し、昭和28年株式会社佐藤八十八商店を設立しました。
八十八氏が生まれた本荘市石脇は、旧亀田藩領で、八十八氏の実母はまた亀田藩の本陣を勤めた石脇作佐部家の出身、さらに八十八氏の夫人(リツ)は、由利十二頭時代に亀田部を支配した赤尾津氏とかかわりのある家柄の出身であるなど、八十八氏と岩城町とはつながりの深い関係にあります。

佐藤家の本家は、山形県飽海郡平田町飛鳥の飛鳥神社の社人で、奈良飛鳥神社の勧請創建といわれており、由緒ある家柄です。平田町から分家して秋田県本荘市に居住してから永世名誉館長の佐藤八十八氏は第三代目にあたります。
初代佐藤恒三郎(文政元年~明治30年)は、飛鳥で生まれ、漢方医を生業としていました。一方では、歌道、書道に優れ、絵画の面でも才能を発揮した人物です。
二代目佐藤八十八氏(慶応元年~昭和12年)は、初代恒三郎の長男として、飛鳥に生まれました。絵を描く事を生業とし、特に仏画で頭角を現したと伝えられています。師は女流画家・野口小蘋でした。号は明玉、竹圃、桂仙、華邨、釣舟などと称しました。

佐藤氏はこの佐藤家三代にわたって収集してきた美術品等のコレクションを岩城町に寄附しました。
寄附された美術品等の数は、書、絵画、陶磁器、工芸品など467点、「コレクションを後世に残すとともに、地域の美術文化に役立ててほしい」という佐藤氏の思いがきっかけとなり、亀田藩主の居城「陣屋」を復元したいと長年考えていた当時の岩城町長(前川盛太郎)の思いと相俟って亀田城佐藤八十八美術館が建設されました。
 
 
 佐藤 八十八 (さとう やそはち)
 亀田城佐藤八十八美術館
 永世名誉館長
 明治40年~平成10年
 (1907~1998)