石碑8「戊辰勤王碑」

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ページ番号1003687  更新日 2023年9月25日

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写真:戊辰勤王碑

石碑8「戊辰勤王碑」の説明

本丸の土塁の西北の隅に高さが台座ともで約7メートルの巨大な石碑があります。大正7年(1918年)の末に起工、大正9年(1920年)6月13日に除幕したものですが、現在は碑の前に植えられた桜の木の枝が交錯して本丸の平地からはまともに見えないため、こんな大きな石碑が建っていることにも気がつかない人がいるくらいです。

この碑は、明治元年(1868年)の戊辰戦争の際、本荘藩が秋田藩・亀田藩などとともにいわゆる官軍方について庄内鶴岡藩と戦ったことを「勤王」とたたえたものなのですが、現在そうした解釈はとられていませんし、この碑の建立が国家主義・天皇中心主義が次第に力を伸ばしてきた時期のものであったことを念頭において、碑文の内容についてはこれ以上は触れないようにします。碑文は当時の漢字の第一人者・三嶋毅(中州)によるものですが、最後にある銘の中で鳥海山を「鳳山」、子吉川を「児水」と優雅に言いあらわし、広く郷土の人々に感銘を与えました。この石碑に発するこの表現は、今でも多くの人たちに愛され使われています。

もうひとつこの石碑で注目すべきは、碑文が伊藤天海の筆に成るものだということです。天海は日役町蔵堅寺26世住職ですが、明治6年(1873年)、金浦赤石の生まれ、幼くして得度、のち上京して三嶋毅に師事、書を日下部鳴鶴に学んでいます。蔵堅寺に迎えられたのは明治35年(1902年)でしたが、昭和25年(1950年)に亡くなるまで、書の名作を数多く遺しています。楷書での代表作はこの碑文であり、優麗典雅、端正でゆとりある筆遣いはまさに天下一品だといってよいでしょう。

石碑8「戊辰勤王碑」の位置

地図

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