城下町人町の中心地「肴町」「中町」「大町」

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ページ番号1009755  更新日 2024年3月25日

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 江戸時代初期の本荘城下は、湊町として知られていた古雪町を包み込む形で創建されたもので、古雪町と武家町の間の町人町は広く「出戸町」と呼ばれ、個別には「出戸大町」「出戸後町」「出戸寺町(日役町)」等と呼ばれていました。この「出戸町」では、東西に走る道路に沿って、南北に細長い短冊形の屋敷が並んでいました。現在でも屋敷割や寺院配置の様子がよく残っています。

 古雪町から大町に至るこの通りは、日本海沿岸を通る羽州浜街道(酒田街道・北国街道ともいう)から本荘城下町に入るための主要な道路でした。中でも肴町・中町・大町はその中心を成す場所であり、廻船問屋など有力な商家が立ち並んでいました。

 中町にある由利本荘警察署の敷地は、町役人の筆頭である出戸町名主「細屋与惣左衛門家」の屋敷でした。屋敷の裏手には町方の政務を担った「会所」があるほか、門前には「高札場」が設けられていました。また、細屋家には全国を測量して日本地図を作った伊能(いのう)忠(ただ)敬(たか)が、享和2年(1802)に宿泊しています。そして、掃部(かもん)公園と名付けられている現在地(肴町)には、宿老(町名主に次ぐ役職)を務めた「池田掃部之助家」があり、公園名はこれに由来しています。

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