猿倉人形芝居(さるくらにんぎょうしばい)

ページ番号1003567  更新日 2022年12月14日

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名称
猿倉人形芝居
創始者
吉田若丸(本名:池田与八)
保護団体名
  • 木内勇吉一座(由利本荘市石脇)
  • 吉田千代勝一座(北秋田市増沢)
  • 鈴木榮太郎一座(雄勝郡羽後町野中)

概要

写真:猿倉人形芝居風景1

猿倉人形芝居は、明治時代に秋田県由利郡百宅村(現在の由利本荘市鳥海町百宅)出身の吉田若丸(1858年生まれ・本名:池田与八)が創始した人形芝居です。猿倉という名称は、若丸の弟子で、人形芝居を大きく発展させた吉田勝若(本名:真坂藤吉)の出身地である猿倉(現在の同市鳥海町猿倉)に由来します。明治から昭和30年代にかけて、各地で若丸・勝若の弟子たちが作った多くの一座が全国各地を巡業し、大変な人気を博しました。
戦後、娯楽の多様化が進むと、人形劇は徐々に下火になり、継承者も減少しましたが、秋田県内では木内勇吉一座、吉田千代勝一座、鈴木栄太郎一座の三座が芸を守り続けています。
なお、昭和49年秋田県無形民俗文化財に指定され、平成8年には文化庁から「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」として選択されています。

特色

写真:猿倉人形芝居風景2

文楽など人形遣いが表に出て演じる芸能に対し、猿倉人形芝居は「隠れ使い」といわれ、人形遣いが幕の内側で人形を操っているのが特色です。人形衣装の裾から腕を入れ、人形カシラのノド木を人差し指と中指で挟み、親指と小指に人形の両手をはめることで、人形を操っています。そうして片手に1体ずつ、両手で同時に2体の人形を扱っているのです。

演目

公演は「三番叟」、日替わりの段物(仇討物)、「鑑鉄坊さんの花傘踊り」の三本立てで構成されます。

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このページに関するお問い合わせ

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