土田家住宅

ページ番号1003554  更新日 2022年12月14日

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写真:土田家住宅

指定
国指定重要文化財(建物)
昭和48年2月23日

所在
由利本荘市矢島町元町字相庭舘9

所有者
土田喜一郎


土田家住宅は、秋田県で17世紀まで溯る最も古い農家の遺構として重要文化財に指定されました。建物は昭和59年7月から1年半の工期を要して解体修理工事が行われ、この間の綿密な調査に基づいて当初於古材は出来る限り再用し、17世紀後半頃に近い姿に復原されました。
土田家の祖は木曽義仲の四天王の一人、根井小弥太行親の末えいと伝えられ、豊臣秀吉から朱印状が与えられ、この地域の独立した小領主として処遇されていました。現在の相庭舘集落に居住したのは江戸時代の初頭の頃と考えられます。
建築年代は明らかではないが、家伝によると延宝6年(1678)没の初代清左エ門が建てたものといわれており、構造や工法からみても17世紀の建築であることが明らかであります。
この住宅は「中門造り」の系統のもので、後世の完成された中門造りとは異 なり、建築年代の古さと、中世以来の武士住宅の系譜を引く「主殿造り」の要素をもちあわせた学術上貴重な住宅建築であります。
建物はほぼ南面し、桁行10間、梁間5間の本屋に座敷中門1間を突出させており、内部は土間部分が建物の3分の1を有し、残りは床上部で西側南北に座敷2室を並べてここを接客空間とし、この南面に中門を突出させています。
上座敷には床の間があるほか当初からこの部屋だけに天井が設けられていました。また、日常の生活の中心的な部屋は「茶の間」でこの部屋には仏壇、神 棚があって祭祀空間でもありました。
「茶の間」の裏は「内座」と「ねどこ」があり、開口部が少ない閉鎖的な部屋でここが寝室にあてられ、土間は東端の桁行3.5間で仕切壁を設けて南北に区画し前方は大戸口内部の「にわ」であります。また、仕切壁の後方は土間の「台所」で中央部に「地炉」があり、このように間取りは大きく三区に別けられた単純な形式で、この建物の古さを示しています。

間取り図:土田家住宅

  • 上座敷
    上客用の接客室で当初は「上でい」と云われた。この座敷だけが建築時から天井と長押があり、最上級の部屋であったことを示している。
  • 下座敷
    部屋境に建つ柱はこの住宅が17世紀の古い形式を示し、天井は仮設のもので当初にはなく、屋根裏があらわれていた。
  • 茶の間
    日常生活の中心的な部屋あり、仏壇は17世紀の形式に復原し簡素な作りは当時の祭祀のありかたを知るうえで貴重である。床は元来坂の間で莛敷きと考えられる。
  • 内座
    この部屋は窓が極めて少なく、当時の寝室であり、なお一般農家は土座であった。
  • 納戸
    内座の附属室で寝室として使われた。
  • 台所
    修理復原によって土間となった。これは農家の台所は古くはすべて土間であったことを示す。この場所は発見された墨書には「大所」の字が使われていた。当時の台所は居間としても使われた広汎な意味をもっている。土間中央の「地炉」は発掘調査によって確認されたもので、東日本の農家に多く見られる。
  • 座敷中門
    修理前には「供部屋」であったが解体調査の結果座敷中門の存在が確認され。当初の中門は本屋から3間以上出ていたが、資料が少ないため、1間のみの形式保存に留めたものである。この中門によって座敷中門の出現が馬屋中門に先行することが立証され、中世武士住宅の流れをくむものと考えられる。

写真:土田家住宅内部1

写真:土田家住宅内部2


柱は部屋の境界においても1間ごとに建ち、その数は多く、このため後世の住宅のような太い差物類はなく、柱数の多さをもって屋根を支えるという構造となり、住宅建築の発展過程の途中の年代であることを表しています。使用材は柱がクリ、横材がブナ、板壁、天井等の雑作材がカツラ、ホウで占められ、杉などの針葉樹材は一本もなく、すべて雑木が使われています。
また、工具は座敷廻りにカンナ仕上げが見られるほかは丸味のあるチョウナで仕上げられています。
中門造りと呼ばれる建物は秋田、山形、新潟県に多く分布する住宅であります。「中門」とは本屋の前方に突出した玄関や馬屋の部分を指し、古くは平安時代の「寝殿造り」や中世の「主殿造り」の突出部にその名が見られます。
しかし、農家の馬屋などにもこの名称が用いられた理由については不明でありますが、その外観上の形が似ていることから付けられたものと推定されます。
「中門造り」には「片中門」と「両中門」とがあり、一般には馬屋中門のみのものが多く、「座敷中門」も付く「両中門造り」は18世紀後半以降の中門造りの完成期のもので、由利郡や秋田市周辺に多く見られます。土田家住宅の中門は上中門と呼ばれる座敷側のみの中門でこの形式は極めて少なく、現在まで の学説では馬屋中門の発生が古く、座敷中門は18世紀以降の出現と考えられてきました。土田家住宅の痕跡資料に基づく復原によって、座敷中門のみの形式が先行していたことが明らかとなります。このような形式の住宅は中世の武士住宅を描いた絵巻物などに見られ、これを「主殿造り」と呼んでいます。
土田家住宅は先祖の出自から考えて中世以来の「主殿造り」の系統を引いて いるものと考えられ、近世初頭の上層農家の形態を知るうえで極めて重要な建物であります。

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