佐 藤 康

「やっさん」人は彼を親しみを込めてそう呼ぶ。
 昭和の鳥海山を語るとき彼の名前を忘れることはでききない。しかし今はもう彼と話しをすることもできない。
残念なことに祓川を訪れても康さんの思い出を見つけだすことさえできなくなってしまった。
 ただ、矢島口登山道七つ釜避難小屋の近くに山の仲間が建立した「康ケルン」があり、静かに登山者の安全を見守っていてくれている。
 時の流れとともに、康さんの思い出も風化しつつある。彼の愛した鳥海山に山の仲間達が集い、彼の事を伝えていかなければ。
集へそして語ろう康さんの思い出を!
 

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康さんの経歴

西 暦 和暦

項    目

1921 大正10年 5月30日、矢島町城内字水上にて父久次、母イワの長男として誕生
1936 昭和11年 矢島尋常高等小学校卒業。父久次病没。運送業丸岡に働く
1937 昭和12年 11月15・16日、矢島スキークラブ山岳部員5名冬の鳥海山初登頂。
1939 昭和14年 第一回鳥海山スキー滑降レース大会(東京日日新聞社主催)で優勝。この年佐々木トメエと結婚。
1940 昭和15年 6月、長女久子誕生。
1942 昭和17年
1月、現役召集で、東京世田谷の東部13部隊に入隊。
4月、満州牡丹エ省へ送られる。
4月、次女直子誕生。
1944 昭和19年 満州から沖縄に転戦し、沖縄本島ハイバルにて米軍の艦砲射撃をを受け左足を負傷し、野戦病院にて膝関節より切断する。上陸した米軍海兵隊の捕虜となりハワイに移送され、治療をうけながら捕虜収容所ですごす。
1946 昭和21年 横須賀に復員。治療と義足製作のため新発田の国立病院に入院。
1947 昭和22年
2月、母イワ病没。
5月、三女八枝誕生。
義足の訓練を始め、鳥海山スキー滑降大会の前走をつとめる。
1949 昭和24年 長男孝誕生。
1951 昭和26年 矢島町町営祓川ヒュッテが完成し、初代管理人に委嘱される。
1958 昭和33年 秋田大学山岳部員などの協力で康新道のコースづくりに着手する。
1963 昭和38年 鳥海山が国定公園に指定されるとともに、自然公園指導員に委嘱される。
1969 昭和44年 秋田県山岳連盟より秋田県山岳功労者として表彰される。
1974 昭和49年 鳥海山153年ぶりに噴火。
1979 昭和54年
6月、国立公園協会50周年記念式典にて協会長表彰受賞
8月、第21回自然公園大会にて秋田県知事表彰受賞。
1981 昭和56年 「鳥海山日記」を出版。
1982 昭和57年 「続・鳥海山日記」を出版。
1988 昭和63年 37年間の祓川ヒュッテ管理人の役目を終え山を下りる。
1989 平成元年 矢島町功労者(産業功労)に選ばれる。
1991 平成3年 「ひとりぼっちの鳥海山」を出版。
1992 平成4年 3月26日午前10時44分、入院先の本荘第一病院にて永眠。享年70歳。
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1998年 2000年 矢島山岳会 昨年のケルン祭 昨年のケルン祭
康ケルン祭 康ケルン祭 40周年記念誌 本荘市石脇 記念写真
ポスター ポスター 表紙 佐藤紀氏作成 矢島山岳会

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2001年

2002年

2003年

康ケルン祭

康ケルン祭

康ケルン祭
ポスター

ポスター

ポスター

康ケルン

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鳥海山ポスター

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