町制施行  矢島町の誕生

 

 明治21年9月22日、城内村年番小番柳次宅に参集した7名の村議員は、矢島戸長役場の土田八十郎戸長から、次のように由利郡長の通達を説明された。
  「今般、市町村制度が交付されることになったについて、由利郡としては、町村組織方 に関する諮問会を開き、新しい町村の編成をしたい意向である。よって、この会議には 各町村から1名の代表者を参会させるように、指示されてきているから、城内村からも 1名の代表者を選出して、必ず出席するように取り計らわれたい。」
 そこで城内村では直ちに村会を開き、代表者に年番の小番柳次を選出した。
 この由利郡町村組織方は、同年10月1日本荘町永泉寺で開催された。郡長小助川光敦が議長となり、県官が陪席して議事が進められた。県としては、あらかじめ矢島町ほか11ヶ町村を、打って一丸とした新矢島町の成立を策していたが、元町村・立石村・新荘村坂の下村・木在村の5ヶ村代表者は、長年にわたる農民感情からして、どうしても別村を設立したい意向を捨てなかった。しかし、県官や郡長の切なる説得が効を奏して、かろうじて「新生矢島町」誕生にこぎつけることができたのであった。よって、県令に差し出した答申書は、次のとおりであった。
  「矢島矢島町・矢島田中町・矢島舘町・城内村・七日町村・元町村・荒沢村・立石村・新 莊村・木在村・坂の下村・川辺村、右十二ヶ町村合併、矢島町と改称す。」
 こうして産声をあげた新生矢島町は、翌22年4月1日をもって効力を発生した。この年町制を施行されたのは、本荘・矢島・亀田の旧城下3町で、塩越村が象潟町になったのは同29年、平沢町が同30年、金浦町に同35年町制がしかれて、由利郡は6町25ヶ村の行政機構となった。
 
 

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