第3巻は、閏3月7日、アメリカ太平洋のアスピンオール港出航にはじまり、ポトマック川をさかのぼり首都ワシントンに到着、滞在時の様子や調印式とその後の状況が記されてある。第5巻は、5月29日米艦ナイヤガラ号にのって大西洋を横断してアフリカの西海岸に近いビルデ岬諸島のひとつ聖ゼンセント島ポルトガランド港に入った時から書きおこし、9月29日、58,600km、九ヶ月間の世界一周の旅を終えて故国に無事帰って来た時までのことを克明に書き記してある。その最後に「世界一周、無恙一同帰国スルコト、誠ニ天幸ト言可シ。」との文をもって結んでいる。無事故国の土をふんだ彼の胸中感無量なるものがあったことであろう。 |
当時我が国の航海術は申すにおよばず、外国に対する知識も、絶無に等しいものがあった。彼等が全く見も知らぬ異国へおもむき大任を果たすその心労、しかも世界一周の旅などは、現在の人達の月世界への旅行にも等しいものがあったに違いない。彼等の勇気と努力とえい智に対して心から敬意を献げたい。 |
東蔵道賢は、その後ふるさとに帰り、慶応元年、辞世の一句を残してこの世を去っている。 |
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矢島の歴史より
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日米修好通商条約のページ |
日米修好通商条約を結ぶ |
日米修好通商條約(抄) |
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